主演のケイト・ブランシェットはアカデミー賞やゴールデン・グローブ賞で主演女優賞とったし、脚本賞や助演女優賞はノミネートされているのでおもしろさが保証されている映画である。
ウディ・アレン監督はろくに映画を観ない自分でも知っている有名人だ。なぜか関根さんを思い出す。好きなんだよねという有名人は多い。映画はたくさん撮っているはずだが、いままで一度もちゃんと観たことがない。テレビでやっていた何かの映画をだいたい観た記憶がある。そんなわけでイメージは以下の通り。
- 皮肉の聞いた笑い
- おしゃれ?
- 登場人物がみんなおかしい
映画がはじまってすぐに、変な感じがしたのは、音楽。なんだかすごく古い映画を観ている感じがする。2013年な感じが全然しない。それ以降、全体的に、少し古い映画を観ている感じがした。80年代かバブルの頃のような。日本はバブルがあってはじけたから、そういう話にはその頃のイメージを重ねてしまうのかも知れない。
ジャスミンは初っぱなからもうけっこう頭がおかしくて、目がいっちゃってる感じでしゃべってる。ジャスミンのどんどん追い込まれる様子と、妹の恋愛と、過去のセレブだった頃が、同時進行のように描かれる。
映画っぽいっすね。
そんでもって最後は、オチっちゃオチがあるけれど。
見ている間は、「あ〜長いな〜いま何分ぐらいたったのかな〜時計ないな〜」とすごいしんどくなったし、終わったあとは、ものすごいもやもやした。
ケイト・ブランシェットの演技はおもしろかったからそこは良い。でもどこがおもしろかったか分からない。ジャスミンの頭からっぽさも、破綻ぷりも、妹の結局頭の悪い感じも、周囲にいる男性の、頭を使っているようで使っていない感じも、ぜんぶ分かるけど、おもしろいと思えなかった。
人間てみんな馬鹿でしょう?、何も考えていないでしょう?。みんな勘違いして、それぞれ自分が納得できる程度のところで、惚れたはれただの繰り返し、生きていくんだよ、死んでいくんだよ。
そんなことを監督はいいたいのかなぁ。
ジャスミンは馬鹿だけど、そこまで責められる馬鹿さだろうか。実際あそこまで空虚だと、空虚なままに生きていくしかないんだけど。それをそのまま描いて、それでどうしたいんだろう。描けることはすごいけど。
ジャスミンは最後、すぐ泣くDV気味の男とよりを戻した妹に、私はセレブと結婚するのよといって家を出て行った。それは見栄であり、妹への優しさだと私は思ってしまった。でもその優しさを遂行するのは、それでわずかに残っていた正気を使い切ってしまうということだった。
寓話でありファンタジーならば、安易な教訓など得てはならない。
でももやもやするのは、自分はまったくセレブではないが、専業主婦で子供もいなくて、レディースデーにのんきに映画を観に行っているからだ。からっぽぷり、勘違いっぷりのレベルは違うにせよ、ジャスミンはとても他人事に見えない。想像力を封印し、自分が手の届く範囲で、それでも、確実に手応えがあること、洗濯掃除料理園芸アプリ制作、それらを自分が満足する程度のクオリティで日々ちまちまとこなす。それって全部勘違いだよねアハハといわれているような感じがした。
日常生活のぼんやりとした不安が、あざ笑われて倍増されるような話。
おもしろく無かったわけじゃないけど、他の『青天の霹靂』とか『チョコレートドーナツ』とか『WOOD JOB!(ウッジョブ)〜神去なあなあ日常〜』を観に行けば良かったかなぁとすごく思ってしまう映画だった。「今日は映画でウツになりに行くぜ?」なほど映画偏差値高くない。
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