水曜どうでしょうの新作が東京でもオンエアがはじまって、はじめて、リアルタイムに近い形でみています。
はじめてちゃんと見はじめたのは、原チャリで高知にいくシリーズでした。ちょい前の放送ではなく、東京MXでの初回放送のときです。そのときは録画して、合間をみつけて見はじめて、最初の2〜3回目までは、ぼーんやり目が点な感じでしたが、いつのまにかはまっていました。
絵はがき、ジャングル、川下り、西表島、お遍路さん、歴史の勉強、ベトナム、ヨーロッパ(振り返るとけっこう見ている…)。からだをはっていようといまいと、だらだらぐずぐずであろうがなかろうが、おもしろいです。
水どうのおもしろさの一つは、「企画」から連想されるものすべてを捨てているところだと思います。普通のバラエティ番組だと、「〜〜な企画」があると、じゃぁこういってああやって…、みたいな、ある一定のフレームの枠内で、「ハプニング」や「笑い」を時にはわざわざ、作り出します。(それはそれで良いものは良いです。)しかし水どうは、定まっているのは「移動」だけで、あとは何一つ何もありません。もしかして綿密に台本が作られているのかもしれません(?!)が、頭の凝り固まった私には、「何も決まってない」ように見えます。それらはあえての破天荒というのではなく、それが実際のところ、なのです。では素人が同じことをやっても成り立つか?、というと、成り立たないのは言うまでもなく。そこの不思議な成立させている条件が、他に類をみない存在になってしまった故でしょう。
水どうの新作をおもしろくないと言っているかたも居るようですが、私にはおもしろいです。楽しめない方は、その人なりの水どうのイメージができてしまったのかなぁと思います。水どうはそういったあらゆるものに付着する「イメージ」をいかに捨て、忘れ、さぁ何もないよ?、というところから生み出されるものが醍醐味なので、相反するのかもしれません。
強烈な「こだわり」をもちつつも、常にそのこだわりを惜しみなく捨てる。人生とは実は訪れるもののすべてが、これまでにあったことではなく、その瞬間に初めてのものなのですが、出来事を抽象化して共通点を見いだして荒っぽく咀嚼して「前と同じだ」「前のような新鮮さがない」。そのような生き方をしている私のようなくすんだ人間には、水どうは本当にすばらしくてくだらないです。
今回の新作は「一生」感がではじめている雰囲気があって、そこもまた楽しみにしている理由の一つです。
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